素敵なおたがいさま企業/「葱王」のティー・エスファームに学ぶ

起業に向けて・学びと準備

今やデパートでも売られる埼玉県上里町産のブランド長ネギ「葱王」を生産・販売するティー・エスファームの取り組みが素敵です。

甘味が強く肉厚という特徴をもった高品質の葱を、1年を通して安定的に生産することで、仲介業者を経由せずに鮮度を保って即日配送するというビジネスモデルを構築して、今や1日7トン以上の「葱王」を出荷し、全国のスーパー1,200店舗と飲食店500店舗と直接取引をしています。

日系ブラジル人2世の斎藤俊男さんは、お父様から開拓者精神と古き良き日本人の心を引き継ぎ、何度もの危機を乗り越えてきました。

斎藤さんが手がけているのは、単なる葱ではなく、心と心をつなぐ愛ある野菜づくりです。

葱という字には「心」という字が入っています。そして「心」は「愛」「感」「思」という文字にの中にも。「愛」「感動」「思い」を込めた斎藤さんの葱は、人々の心を動かしています。

売上の一部は、日系ブラジル人の子どもの大学進学のために設立した奨学金制度の財源として、入学金と4年間の学費を全額支給しています。返済は不要です。

苦労された方ほど、「おたがいさま」の気持ちが強いのですね。

憧れの親の祖国での“JAPANESE DREAM”を夢みて

ブラジルの大学卒業後、出稼ぎで日本にやってきた斎藤さんの人生は波乱万丈です。

斎藤さんが日本人に対して抱いていた印象は、お父様から伝えられた古き良き日本の姿のままで、日本人は義理人情に熱く、約束を守り、優しいというものでした。

時はバブル全盛期。地方の町工場でまじめに働いていた斎藤さんは会社の同僚からお金を無心されて貸したところ持ち逃げられたことも。いくら頑張っても「外国人は直接雇用はできない」という壁にもぶつかりました。

そんな時でも、同僚の中には、斎藤さんのために手作り単語カードを500枚も作って日本語の勉強をサポートしてくれた人もいました。間違えやすい漢字を「貝」「員」「買」のように取り上げて、読み方と意味をまとめてくれました。斎藤さんは今でもそのカードを宝物として大事に持っています。

斎藤さんは日本語が話せることもあり、ブラジル人労働者と日本企業との通訳をたのまれることが度々ありました。そこで、斎藤さんはお金をためて日系ブラジル人と日本企業の架け橋となる人材派遣会社を設立しました。折しも入国管理法規制緩和により、多くの外国人が日本人が嫌う3Kの仕事で働く時代でした。

しかし、斎藤さんが外国人だという理由で経営者としての信頼を得ることができず資金繰りが苦しくなり、銀行もまた外国人への融資を渋りました。

そこで斎藤さんは、外国人の子どもは日本の保育園になじめず親たちが仕事を休みがちになるというところに目をつけ、外国人労働者からも派遣者先の企業からも信用を得るために、外国人労働者を受け入れる保育園を自ら設立しました。

さらに、労働者のための寮も用意して自らがハンドルを握って彼らの送迎役をかって出ます。その甲斐あって、外国人派遣労働者は400人を越え、ブラジルコミュニティを形成するほどになりました。斎藤さんの苦労が実ってJAPANESE DREAMに手が届いたかに見えました。

リーマンショックによりゼロからの再スタートへ

2008年3月にリーマンショックによる金融不安が訪れると、「派遣切り」の嵐が吹き荒れました。数か月の内に350人もが職を失い祖国に帰っていきました。

斎藤さんは、彼らのための寮やスポーツ施設の建設のために4億円もの借金をしていました。この時の斎藤さんは、「約束は守る」という古き良き日本人の価値観を重んじるお父様の教えを守れない狭間で自殺も考えたということです。

斎藤さんは日本での滞在を希望する仲間と一緒に仕事を探す日々の中で、農業の後継者不足から発生している「耕作放棄地」があちらこちらに点在していることに気が付き、そこを借りてみんなで農業すればなんとか食べていけるのではと思いました。

未知の農業へのチェレンジ

農業については全くの素人しで、ノウハウも伝手もない斎藤さんでしたが、立ち止まることは死を意味しました。しかし、耕作放棄地の地主を訪ねて土地を貸してくれるように頼んでも「外国人に日本の農業はわからない」と先祖代々の土地を見知らぬ外国人には貸してくれませんでした。

それでもあきらめずに土地を探すと、ようやく木が生い茂る荒れ地を見つけました。重機を手配できない斎藤さん達は手作業で木を切り倒して切り株を抜き、掘っても掘っても終わらない作業を続けました。自分達の先祖が日本からブラジルに渡って農地を開墾した苦労に想いを馳せ、3か月間ただひたすら掘り続けました。

ようやく農地となり、キャベツ、ブロッコリー、葱などを育てても所詮素人だったため出来栄えは散々でした。しかし、斎藤さん達が毎朝5時から働く姿は地元の農家の心を動かしまた。栽培方法を教えてくれる農家も現れ、次第に斎藤さん達の葱の品質は向上し、市場でも良い評価を得るようになりました。

斎藤さんは再びJAPANESE DREAMの実現に向けて、葱を専門に生産する農業法人を立ち上げました。

ところが、時の流れはここでも斎藤さんに見方をしませんでした。2011年3月11日の東日本大震災による風評被害で埼玉県産の斎藤さん達の葱でされ、放射性物質の危険を嫌われ売れなくなりました。

独自ブランドとビジネスモデルの構築

ここから斎藤さんは、卸売市場を通さない直販を目指します。市場を通すと手数料がかかる上に市場のルールに従う立場になります。小売店と直接取引すれば手数料がかからず価格交渉力も持つことができますが、直接大手スーパーと取引するには、より高品質な葱を大量かつ安定的に生産することが求められます。しかし、それをクリアできれば、新鮮な内にお客様の元に届けることができるのです。

斎藤さんはブランド化とビジネスモデルの構築に取り組み、三度、JAPANESE DREAMの実現を目指しました。

この時の斎藤さんには仲間がいました。「信頼してもらいたければ、自分から相手に対して良いことをすること。するといつかは良いことが返ってくる。これが信頼だ。」というお父様の教えが斎藤さんの中に生きていました。

地域からの理解を得ていた斎藤さん達には、土地を貸してくれる地主がみつかり、安定的に大量の葱を生産するための体制づくりが進みました。地域のゴミ拾いや草刈りに積極的に参加する斎藤さん達は、3Kを厭わない働き手として、日本の農家が抱える「高齢化」「後継者不足」という中で地域の担い手として受け入れられていました。

斎藤さん達は、農地を拡げると同時に品質の改良に取り組み、味で勝負しました。「みんながやっていないことをやって売れる商品を作る」という想いで、肥料の研究を重ねた末、甘味が増して肉厚な「葱王」の生産にめどをつけました。さらに、皮むき・選別・梱包までができる工場をつくり、即日配送体制を整えて、外食チェーン店との直接契約にこぎつけました。

次なる課題として、大量注文をしてもらえる大手スーパーとの年間契約を取るために、冬の寒さの中でも葱を成長させるハウス栽培に取り組みました。借金をしてハウスを建てましたが、温度管理・水分管理がわからず、葱を枯らしたり病虫害の発生と戦いました。

そんな斎藤さん達に、またしても無常なまでに自然の猛威が襲い掛かりました。2014年2月、積雪65㎝の記録的な大雪によりハウスが全壊しました。

リーマンショックによる派遣切りと原発による風評被害につづき、またもゼロからの再スタートでした。しかし、ここでも農家との間との強い絆が斎藤さん達を支えました。ハウスでの温度管理や水分調整のノウハウを教えてくれる人が現れ、その時々にあった微妙な調整も覚えていきました。

斎藤さん達は、翌年の冬場の栽培に成功し、1年中安定した出荷ができる体制をつくり、大手スーパーとの年間契約を続々と結んでいきました。

素敵な斎藤さんの笑顔

斎藤さんは「みなさんの力があったからこそここまで来れた」と言います。

日本人の血が流れているにも関わらず祖国から外国人として差別された日々を歩み、農地ひとつすら貸してもらえなかった斎藤さんが、こんなに優しい気持ちを持っている姿が素敵です。

日系1世の移民はブラジルに渡り農業で身を立てました。そして2世の斎藤さんが日本で農業で身を立てたました。なんという不思議な巡り合わせでしょう。

栽培をはじめて10年で、1日7トン以上の出荷量、全国のスーパー1,200店舗と飲食店500店舗との取り引きにまで拡大した斎藤さんのブランド戦略とビジネスモデルの実現の裏には、これだけの苦労があったことを知りました。

斎藤さんが率いる農業法人ティー・エスファームには、40人が働き、そのうち25人が日系ブラジル人です。彼らも外国人としての扱いを受けた時もありましたが、いまは地元の仲間として受け入れられています。

斎藤さんが今情熱を傾けているのが日系ブラジル人への教育です。地元の上里町に小学生から高校生までがブラジルのカリキュラムに沿ってポルトガル語で学べるティー・エス学園を創設しました。現在、ブラジル人をはじめ8か国出身の100名余りが通っています。

ここでは日本語や日本の文化も教えます。さらには、斎藤さんによる農業の授業もあり、子どもたちに生きる上での大事なことも伝えています。そこには、斎藤さんがお父様から教わった古き良き日本人が重んじた「義理人情」「世話になった人を裏切ってはいけない」ということも。

外国人と日本人との間の壁がある現実を受け止めた上で、2つの国を知る人材が育つことで現実が変わっていく明日を切り開こうとしています。

この学園の送迎担当のドライバーに秋葉さんがいます。彼こそが斎藤さんに単語カードを作ってくれ人です。10年前に再開した時に秋葉さんは体調を壊して仕事も失い苦しい生活をしていました。斎藤さんは今度は私が支える番だと秋葉さんを誘ったそうです。

「おたがいさま」の素晴らしさに思わず涙がでそうです!

※写真及び図は、ティー・エスファームのホームページ及びThe Asahi Shinbun Globe+より。

※リーマンショックの写真は、toyokeizai.netより。

※この記事は、NHKの「逆転人生」の放送内容を参考にしています。

<投稿後記>
この記事は、お客様と共に育つビジネスの立ち上げを目指す「おたがいさまビジネスチャレンジ(ブログ)」の「コーヒーECビジネスへの挑戦」に投稿したものです。
私自身はコーヒーECビジネスで起業したいと思っていますが、ビジネスは儲ければ良いとは思っていません。感銘を受ける人々の行動に学んで、「おたがいさま」といえる意義ある社会活動の一翼を担いたいと思います。それが私にとってのDO SOMETHING GREATです。

投稿者のこだわり

Takashi
Takashi
「おたがいさま」という日本語が好きです。お客様と共に育つ「おたがいさまビジネス」の起業をめざします。
「早く行きたければ1人で行け。遠くまで行きたければみんなで行け。」という諺も好きです。価値観を共有する人達と力を合わせて遠くへ飛ぶことをめざします。

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